「殺す? 我々を?」
リューイは、さも可笑しそうに聞き返した。奈子は無言で頷く。
「面白い小娘だ。ここまで追ってきたのなら、我々がここで何をしているのか、気付いていない訳ではあるまい?」
「知ってるよ。ランドゥの神殿、だろ?」
「そこまで知っていて、それでも私と闘うと? 面白い。エイクサムが興味を持つはずだな」
奈子は、剣を握った手に力を込めた。
刀身が、青い炎に包まれる。
リューイの姿を見た瞬間から、迷いは完全に消え去っていた。
なにしろ、この世界へ来てから約一週間、ずっと自分に暗示をかけ続けていたようなものなのだから。
ファージの仇を殺す――ただそれだけを考えてきた。
奈子の足が地面を蹴るのと同時に、リューイは片手を上げ、短く呪文を唱えた。
手の中に青白い光が生まれ、それは光線となって奈子に襲いかかる。
奈子はそれを避けようともせず、光線は奈子の胸の中心に突き刺さった。
だが、リューイの予想を覆し、奈子は何事もなかったかのようにリューイに切りかかった。
驚愕を隠し切れない表情で、リューイはそれでも後ろに飛び退く。
奈子の剣は、リューイの胸の辺りを掠めた。
着ていたローブが裂けて血が滲む。
「な……んだと? あれを喰らって平気だと?」
リューイの魔法の直撃を受けたはずの奈子は、かすり傷も負っていない。
「さては、ソレア・サハの対魔法護符か……?」
リューイは小さく舌打ちをした。
この辺りの魔術師たちの間では、ソレア・サハの名はかなり知られている。
攻撃や破壊の魔法が一切使えない代わりに、防御や治癒の力は、並の魔術師のそれを遥かに凌駕する、と。
リューイは、奈子が、ソレアが作った対魔法用の護符を持っているのだろうと推測した。
彼が見る限り、奈子は魔法に関しては、普通では考えられないくらいの素人だ。が、剣はかなり使えるようだし、なにより、素手で人を倒す奇妙な技を持っている。
このまま闘うのは不利だと判断したリューイは、転移の呪文を唱えた。
リューイの身体が、周囲の風景に解け込むように、透き通っていく。
それを見た奈子は、慌ててリューイに飛びかかった。
「逃がすかぁっ!」
伸ばした手の先が、リューイのローブに触れる。同時に目の前が真っ暗になり、下りの高速エレベーターに乗っているような浮遊感を覚えた。
次の瞬間、周囲の風景が一変する。
そして、その風景には見覚えがあった。
「ランドゥの、神殿?」
半疑問形でつぶやく。リューイが、にやりと笑った。
そこは、奈子がエイクサムやリューイたちと闘った、神殿の地下の大広間だった。
ちょっとした体育館ほどの広さがある、石造りの大広間。周囲の床や壁には、奇妙な文字や記号が無数に刻まれている。
「この遺跡に遺された力の解析がまだ不完全でな。他の場所では、十分な力が出せないのだよ。だが、ここにいる限り、我々の力は竜騎士にも匹敵する」
「……、姫様のペンダントも、そのために必要だった?」
「知らんのか、今のアイサール家は、遠い昔にこの神殿を封印した者たちの子孫。あれは、その時の封印の鍵の一つだ。我々は、王国時代の大いなる力を完全に取り戻すために、あらゆる方法を試しているのだ」
そう言うと同時に、リューイは両手を広げた。
「フェイ・ア・ボゥ!」
奈子を取り囲むように、オレンジ色に輝く光の球が出現する。その数は、すぐには数え切れない。
緊張した面持ちで奈子が身構えるのと同時に、その光球は一斉に爆発した。
大広間全体が、灼熱の炎に包まれる。それは、鉄をも溶かすほどの高温だった。
だから、炎が消えた後そこに立っている人影を見て、リューイは心底狼狽した。
「こんなのが、竜騎士の力……だって? ウソだろ?」
「そ……んな、馬鹿な……」
目の前で起きたことが信じられないといった表情で、リューイがつぶやく。
奈子の前髪はちょっと焦げていて、腕に軽い火傷の痕がある。
だが、それだけだった。
奈子自身も驚いたのか、自分の身体を見回したが、これといった傷もないことを確認してリューイに向き直った。
「これで精一杯だと言うんなら、もういいだろ? 死ねよ、アンタ」
奈子は床を蹴って一気に間合いを詰めると、全体重をかけて剣を振り下ろした。
リューイは身を捻ってかわそうとしたが、一瞬遅く、刃はリューイの左腕に喰い込んだ。
剣先が骨を砕く感触が伝わってくる。
「これで、終わりだっ!」
一瞬の間も置かず、さらに踏み込んで、返す刀で首を狙う。
だが、リューイに向かって力一杯叩き付けた剣は、突然現れた剣にぶつかり、耳障りな金属音を立てた。
「な……?」
その剣は、宙に浮いていた。しかし、まるで一流の剣士が操っているかのように奈子の剣を受け流すと、体勢の崩れたところに切りかかってくる。
奈子は後ろに飛び退いて、間合いを取った。
「対魔法護符では、直接の攻撃魔法は防げても、これは防げまい」
左腕の痛みに顔を顰めながらも、リューイは、無事な右手を高く掲げる。
と、奈子の周囲に、新たに四本の剣が出現した。
それらの剣は、それ自身が意志を持っているかのように自由に飛び回り、次々と奈子に襲いかかってくる。
奈子は、それらの剣を超人的な反射神経でかわし、あるいは剣で叩き落としていく。が、なにしろ五本の剣があらゆる方向から切りかかってくるのだ。反撃するどころか、致命傷を負わずにいるのが精一杯だった。
「なかなか頑張るな、では、これならどうだ。スウォ・ケイ・ヘル!」
リューイの呪文に応えて、さらに五本の剣が現れた。
驚いて一瞬動きが止まった奈子の右手を、一本の剣が切り付ける。剣先は手首の辺りを掠め、手から剣が落ちた。
リューイが笑みを浮かべる。奈子は床に転がった剣を一瞥もせず、ベルトに差した短剣を抜いて、リューイに向かって投げつけた。
短剣は正確にリューイの胸を狙っていたが、剣の一本が飛んで行って短剣を叩き落とす。
そこで、奈子に襲いかかっていた剣に僅かな隙が生じた。
奈子にとっては、それで十分だった。
一跳びで五メートル以上あった間合いを詰める。左手でリューイの右手の袖を掴み、柔道の大外刈りのように脚を引っかけた。
そして、右肘をリューイの喉に押し付ける。
リューイはバランスを崩して後ろに倒れ、その瞬間、奈子は肘に全体重をかけた。
何かが折れるような鈍い音とともに、リューイの口から血の泡が溢れ出す。
奈子の口元が微かに歪んだ。
リューイに馬乗りになった奈子は、さらに拳を振り上げる。
だが、その拳を振り降ろすより早く。
リューイが操っていた剣の一本が、奈子の背に突き刺さった。
剣は奈子の身体を貫き、右胸に血の染みが広がっていく。
「き……貴様……」
リューイを睨みつけながら、奈子は声を絞り出した。
組み伏せた男は、まだ死んではいなかった。血塗れの唇が微かに動いている。
「この、死に損ないがぁっっ!」
奈子は、一度止めた拳をリューイの顔面に叩き付けた。
そしてもう一発。
奈子に襲いかかろうとしていた残りの剣がその動きを止め、乾いた音を立てて床に落ちる。
だが、奈子は殴る手を止めなかった。
やがて、リューイの顔が血に染まっていく。
そして、奈子の拳も。
それでも、奈子は殴り続けた。
「止めなさい、もう、死んでいます」
それは決して大きな声ではなかったのだが、何故かはっきりと奈子の耳に届いた。
狂ったようにリューイを殴り続けていた奈子は、振り上げた拳を止めて顔を上げる。
大広間の隅に、二人の男が立っていた。
一人は体格の良い三十代の剣士、ハイディス・カイ。
そしてもう一人はもう少し若い、長い金髪の魔術師。
「エイクサム・ハル……」
奈子は、振り上げた手をゆっくりと下ろした。
「もう、いいでしょう? とっくに、死んでいますよ」
エイクサムは、幾分悲しそうな声で言った。
「し……んだ?」
まるで、知らない単語を口にするかのように奈子はつぶやいた。
自分の下で、ぐったりとなっている男を見下ろす。
その顔は原型を留めないほどに潰され、周囲には血溜まりができている。
握り締めた拳をそぅっと開くと、その手もべっとりと血で汚れていた。
「しんだ……。リューイ・ホルトは死んだ。そう……アタシが、殺した」
小さく、無機的な声でつぶやく。
再びエイクサムの方を向いて立ち上がろうとした奈子は、胸を貫いた剣の痛みに顔を歪めた。
服は、自分の血とリューイの返り血で、真っ赤に染まっている。
少しでも身体を動かすと傷が広がり、鮮血が流れ出す。
奈子はそれでも立ち上がった。
やや上目使いに、じっとエイクサムを見つめる。
「リューイ・ホルトは死んだ……。そう、アタシが殺した。次は……あんたの番だ」
「ナコ……。あなたにはわからないでしょうが、この世界は力を必要としているのですよ。滅びつつあるこの世界を救うための、大きな力が……」
エイクサムは、不思議な表情を見せていた。
悲しみ? それとも憐れみ?
少なくとも、今の奈子には理解出来ない表情だった。
奈子は、ゆっくりと歩き出した。エイクサムに向かって。
脚に力が入らない。
一瞬でも気を抜けば、倒れてそのまま立ち上がれないように思えた。
一歩、また一歩。慎重に、ゆっくりと足を運んでいく。
「遠い昔、王国時代には力があった。その力が世界を支えていた。戦乱の中で力が失われて以来、人間は、ゆっくりと滅びの道を歩みつつあるのです。人が住める土地は年々狭くなり、生まれる子供も減っている。ランドゥであろうと、ファレイアであろうと、神々がもたらした力が必要なのです。世界に再び活力を与えるための力が」
真剣な表情で訴えるエイクサムを、ハイディスは何故か怒ったような顔で見つめている。
「ナコ、わかってください。ファーリッジ・ルゥは伝統に縛られ、王国時代の強大な魔法を現代に甦らせることを認めようとはしない。他に方法はなかったんです。ナコ……」
奈子は何も応えない。ただ、少しずつエイクサムとの距離を縮めていくだけだ。
歩いた後には一筋の血の帯が残り、そして、一歩毎に歩みは遅くなる。
「この世界がどうなろうが、知ったこっちゃない。ファレイアとかランドゥとか、王国時代の竜騎士の魔法とか、アタシには関係ない。よその世界のことなんかどうでもいいんだ。ファージは、アタシの友達だった。ただそれだけ……」
抑揚のない声で、そうつぶやいた。
「ナコ……」
「いい加減にしろ、エイクサム!」
突然、ハイディスが大声を上げ、腰の剣を抜いた。
「今さら、何故この娘を殺すことを躊躇う? 前にも言ったはずだ。生かしておけば後で厄介なことになると。そしてリューイは殺された。今さら何を躊躇う? まさか、お前……。この娘を……?」
「まさか……」
エイクサムは微かに苦笑したが、すぐに真剣な表情に戻る。
少し考えて。
「……いや、そうかも知れませんね。最初に会った時から、私はあの瞳に惹かれていた。でも、その結果リューイが死んだのなら、私はけじめをつけなければなりません。ナコ……」
エイクサムは、もう一度奈子に語りかけた。
「これが最後です。考え直す気はありませんか? 理解し合うことは、できませんか?」
奈子は黙っている。
しかしその目が、言葉よりもはっきりとエイクサムの問いに答えていた。
「……では、お別れです。ディ・ライ・ア・ボゥ!」
奈子の周囲に、三十個以上の、青白い光を放つ光球が現れた。
竜を倒すための、竜騎士の魔法。
ファージが得意としていた魔法。
これだけの力を実現するために、ファージは、何枚もの魔法のカードを必要としていたが、エイクサムは一枚のカードすら手にしていない。
「竜騎士の、力……」
奈子は他人事のようにつぶやく。
先刻のリューイの魔法とは桁が違う、強大な力を感じていた。
不思議と、何の感情も湧かなかった。
エイクサムに対する憎しみも。
死に対する恐怖も。
リューイの死を認識した時、全てが、燃え尽きてしまったようだった。
周囲を取り囲んだ光球から、一斉に光線が放たれる。
奈子は、自分に迫ってくるその光をじっと見つめていた。
時間が、とてもゆっくりと流れているように感じる。
やがて光は奈子に集中し、視界が真っ白になった。
一瞬、激しい衝撃と痛みを感じ、その後は何もわからなくなる。
意識が遠くなる直前、視界の片隅に、見覚えのある人影が映ったような気がした。
「ナコッ!」
「ナコちゃん!」
奈子の身体が光線に貫かれるのと同時に、この大広間に二つの人影が現れた。
その姿を見たエイクサムとハイディスが、凍り付いたように動きを止める。
二つの人影の一つ、背の高い銀髪の女性が、倒れている奈子に駆け寄った。
奈子の身体は焼けただれ、周囲の床が、赤く染まってゆく。
「ナコ……。間に合わな……かった?」
小柄な金髪の少女が、呆然とつぶやく。
少女はゆっくりと振り返ると、猫のような大きな金色の瞳で、エイクサムを睨めつけた。
エイクサムとハイディスは、目に映るものが信じられないといった表情で、少女を見つめたまま硬直している。
「……何故……、あなたが生きているのです?」
「生きてちゃ、悪い?」
少女は、冷たい声で言った。その目は、視線だけで相手を射殺そうとするかのように鋭い。
「……、ファーリッジ・ルゥ……」
「私のことはともかく、ナコを殺した報いは受けてもらうよ」
ファージは、ゆっくりと手を上げた。
呪文を唱えるために口を開こうとした瞬間、しかし背後からの声がそれを留まらせた。
「待って、ファージ。ナコちゃんは生きているわ。重傷には違いないけれど、命は助かる」
奈子の傍らにしゃがみ込み、容態を見ていたソレアが言う。
「まさか……、あれを食らって?」
ファージは、驚いているのか喜んでいるのか、よくわからない表情を見せた。
そのまま二歩、三歩、ソレアの方へ歩み寄る。
「この子ったら、何処で見つけたのかしらね」
ソレアは萎れかかった小さな花を摘み上げ、ファージに見せた。
きれいな星型の、萎れてもなお美しい花だった。
「……ノルゥカルキ?」
ファージが首を傾げる。ソレアは小さく頷いた。
「アプシの樹やオルディカなんか比べものにならない、自然界で最高の魔力を持つノルゥカルキの花。私も、実物を見るのはこれが二度目よ。これを持っていたお蔭で、致命傷は避けられたのね。本当に、何処で見つけたのかしら」
「そっか……、生きてるんだ……。良かった……」
安堵の息を洩らしたファージの背後から。
「何故、あなたが生きているのです?」
エイクサムはもう一度、同じ言葉を繰り返した。
奈子に気を取られて、エイクサムたちのことなど忘れていたファージが振り返る。
「あの時、あなたは確かに死んだはずだ。それは確認した。竜騎士の魔法を受けて……、何故、生きているのです」
「竜騎士の、魔法?」
嘲笑うように、ファージは唇の端を上げる。
「馬鹿にしないで。あんなちゃちな魔法で、竜騎士を殺せるはずがないじゃない」
その言葉に、エイクサムの眉がぴくりと動く。
ファージは肩越しに後ろを振り返ると、奈子に治癒の魔法をかけているソレアを見た。
「ナコは?」
「もう大丈夫よ。でも完治するまでには、ちょっと時間が……」
「そうじゃなくって!」
途中で言葉を遮られたソレアはきょとんとファージを見つめ、それから、ああ……と頷いた。
「眠っているわ。しばらくは、目を覚まさないでしょう。見られる心配はないわ」
「……封印は、解いてくれた?」
「それも大丈夫……、でも、本当に?」
「当然でしょ」
そう言って、ファージはまたエイクサムに向き直った。
「ここがランドゥの神殿で、王国時代の力が遺されているなら、禁じ手はナシだろ。ソレア?」
「まあ……ね」
ソレアの答えは何処となく不安そうだったが、ファージはそれを無視した。
「あんな力で竜騎士を殺せるはずがない……か。つまりあれで殺せない者は、竜騎士の力を持っていると? 何を馬鹿なことを」
エイクサムは引きつった笑いを浮かべた。
ファージは何も応えない。しかし彼女の笑みは、エイクサムの問いに対する明確な肯定だった。
エイクサムは苦笑する。
竜騎士の力は、何百年も前に失われてしまったものだ。だからこそ、こうして力を甦らせようと試みているのだ。
「ならば竜騎士の力とやら、見せて貰いましょう!」
エイクサムが両手を広げると、辺り一面に、無数の、青白い光球が現れた。
「得意のカードを何枚用いたところで、あなたにはこれだけの力は行使できないでしょう?」
エイクサムの言葉が聞こえているのか、いないのか、ファージはつまらなそうに片手を上げる。
と、周囲を取り囲んだ光球は、急にその輝きを失って消えてしまった。
「……!」
驚愕のあまり、エイクサムは言葉を失う。
魔法とは、防御することはできても、強制的に解除することは本人以外できない。
それが通説だった。
天と地ほどの力の差がないかぎり、不可能なことなのだ。
「ならば、これはどうだっ!」
いつの間に近くへ来ていたのか、ハイディスが剣を抜いて躍りかかってくる。
それは一瞬のことで、ファージは指一本動かす間もなくハイディスの剣に身体を貫かれた……はずだった。
手応えがないことを訝んだハイディスが手元を見ると、刃は根元四分の一くらいを残して、すっぱりと切り落とされたように無くなっている。
そして、その剣先は、彼自身の腹に深々と突き刺さっていた。
「バーカ!」
ファージが嘲けるように笑って片手を上げる。
手の中に真紅の光が現れ、それは細長く伸びると剣の形になった。
「これが、私の剣さ」
ファージの手が一閃すると、驚きの表情を凍り付かせたまま、ハイディスの首がごとりと床に落ちた。
それから数秒経って、首の無くなった胴体が倒れる。
「少しは、信じる気になった?」
床に転がった首を踏みつけながら、ファージはエイクサムの方に目を向ける。
足に徐々に体重をかけていくと、ハイディスの首は、熟れすぎた西瓜のようにぐしゃりと潰れた。
周囲に血と脳漿が飛び散り、ソレアが顔を背ける。
エイクサムはその光景を見ながら、まったく動けずにいた。
ファージは、一言の呪文も唱えてはいない。しかし彼は、圧倒的な力の差を感じていた。
この神殿の構造を解析し、不完全とはいえ王国時代の竜騎士の魔力の一部を手にした時、彼は素晴らしい力を手に入れたように感じたものだ。
しかし、目の前にいる小柄な少女から感じられる力は、まさに圧倒的なものだった。
それに比べれば彼の力など、大海の前の潮溜まり程度に過ぎない。
「これが……竜騎士の、力……? 今の時代に……竜騎士が……」
声が、震えている。
「ま、『青竜』の称号は持っていないけどね」
ファージが手を開くと、真紅の光の剣がすぅっと消えていく。それから、ゆっくりとエイクサムに向かって歩き出した。
エイクサムは、ただそこに立ち尽くしている。
「滅びゆく世界を救うために、王国時代の魔力に縋ろうだなんて、ナンセンスもいいとこよ」
一歩一歩、ゆっくりと足を運びながらファージは言った。
「過去の偉大なる魔法の力は、忘れ去られたんじゃない。意図的に封印されたんだよ。人は、自分の力で生きることを選んだんだ。世界がこのまま滅びるにしろ、再び繁栄を取り戻すにしろ、それは人間の力と意志で行われなければならない。人は、生かされているのではなく、生きているんだから。竜騎士の力は神々から与えられたもの。今の人間には過ぎた力」
「あなたは……一体……?」
「ファレイアの……トリニアの竜騎士の力は、ほぼ完全に封印されている。だけどストレイン帝国では事情が違う。ランドゥ神によって、あるいは黒の剣によってもたらされたとされるストレインの竜騎士の力の封印は、まだ不完全なんだ。だから、私たちがいる。王国時代の末期、力を封印した者たちは、ごく僅かな竜騎士をこの地に残すことにした。監視者として、封印されていない力が甦るのを防ぐために」
「その……末裔があなただと?」
ファージは、エイクサムの目の前で足を止めた。
エイクサムの顔の前に、右手をかざす。
次の瞬間、悲鳴が上がった。
ファージの指が、エイクサムの右目をえぐっていた。
眼球をえぐり出し、神経と筋肉を音を立てて散切る。
エイクサムは絶叫するが、それでも身体は凍り付いたように動かない。
「今は、これで勘弁してやる。今は、殺さない。結果的にとは言え、あんたはナコを殺さなかったから。でも、今度会ったら必ず殺す。覚えときな」
ファージは、手の中でえぐり出した眼球を握り潰した。血の混じった半透明の液体が、指の隙間からどろりと滴る。
「何処へでも行くがいいさ。私に殺される時まで」
その言葉と同時に、エイクサムの身体が自由になった。
えぐられた目を押さえながら、それでも何とか転移の呪文を唱えるエイクサムを、ファージは無表情に見つめていた。
「何度も言うけど、私、ファージのこういうところは好きになれないわ」
踏み潰されたハイディスの頭部や、血に塗れたファージの手を見て、ソレアは眉をひそめている。
「別に、ソレアに好かれたいとは思ってない」
ファージは少し怒ったように言う。
「これさえなければ『青竜』の称号を受けていたはずなのに。殺されることも、力を封印されることもなかったのに……」
ソレアは独り言のように呟きながら、意識を失っている奈子を抱え上げた。
取り敢えず出血はおさまり、呼吸も落ち着いている。
「……たとえ人からどう思われようと、構わないよ。これが私なんだから、今さら変える気もない」
「でも、ナコちゃんがこれを知ったらショックでしょうね」
「ソレア……」
ファージの表情が険しくなる。
「ナコに余計なことを言ったら、たとえソレアだって殺すよ」
「……ま、しばらくは黙っているわ。私もまだ命は惜しいし」
ファージの目は本気だった。しかし、ソレアは特に表情も変えない。
「それよりも、早くここを破壊なさい。力の封印は、いつまでも解いてはいられないのだから」
「言われなくたってわかってる、私に命令するな!」
ファージは吐き捨てるように言う。その手の中に赤い光が生まれ、それはまた、剣の形になった。
剣を床に深々と突き立てる。両手の指を組み合わせて印を結び、呪文を唱え始めた。
「フェ リアル ファルス
ファ リエル フェルス
トゥ アィクシ コ ル サイナム……」
剣を中心に、丸い光の輪が生まれる。それは加速度的に大きく広がっていった。
夕陽は、山の陰に沈もうとしていた。
神殿の建物が朱く染まり、壮大な遺跡が作る影が長く伸びている。
突然、ちょっとした街ほどもあるその遺跡全体が、眩い光に包まれた。
光は一秒と経たないうちに消え去った。
後には、赤茶けた荒野が広がっているだけだった。遺跡も、それを包むように広がっていた森も、すべてが消滅していた。
千年以上にわたってそこで威容を誇っていた遺跡は、何の痕跡も残さずに永遠に姿を消した。
時が過ぎれば、そこに遺跡が存在したことを憶えている者もいなくなることだろう。
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