五章 アール・ファーラーナ


 一国の王というのも、これでなかなか忙しい身分である。
 それがたとえ小国であっても。いや、小国だからかもしれない。裕福な大国と違い、王といえど遊んでいる余裕などないのだ。
 国王であっても、王宮の奥でふんぞり返っていればいいというものではないし、もちろん彼は、そんな退屈な生活はごめんだった。
「ふぅ…」
 新しい灌漑用水路工事の視察から戻ったマイカラス国王、ハルトインカル・ウェル・アイサール――通称ハルティ――は、小さく溜息をついた。ここ数日、ハードなスケジュールが続いている。
 国土の過半が砂漠であるマイカラスでは、水の確保は最優先事項だ。新しい水路が完成した暁には、ヴェラン地区の水事情は大きく改善される。そうすれば、新しい畑を開墾することもできるだろう。
 人と、それを養う食料。この二つこそが国の礎だ。サラート王国の侵攻をなんとか退けたのだから、今度は内政に力を注がなければならない。
 まだまだ、片付けなければならない仕事はいくらもあった。大きな机の上には、目を通さなければならない書類が山と積まれている。
 書類に手を伸ばしたハルティの目に、ふと、執務室に飾られた豪華な花が映った。
 乾燥した荒野が広がるマイカラスにおいて、生花は贅沢品である。
 生活に直接関係ない部分での贅沢を好まないハルティは、わざわざ命じて花を飾らせたりはしない。ということは、城の誰かが個人的に持ってきた物だろうか。
 なかなかのものだ。大輪の花それ自体も見事だが、それを飾り付けた腕前も大したものだった。
 いったい誰の手によるものだろう。暫し考える。
 城で働いている女たちの誰か、というのが一番可能性が高い。
 なにしろ若い独身の王である。女性が放っておくはずがない。しかしたとえ国王という立場がなくても、ハルティはマイカラスでもっとも女性にもてる若者だった。
 とにかく、顔がいいのだ。とびっきりの美形だ。それで剣の腕が一流で、さらに女性に優しい性格なのだから、もてない方がおかしい。
 妹のアイミィはそんな兄のことを「先天性女殺し」と評している。かく言うアイミィも「先天性男殺し」の素質は十二分にあるのだが、今のところその興味はただ一人の女性に向けられているようだった。
 ハルティはしばらく花を眺めて、心を和ませる。いいものだ。疲れた心を癒してくれる。
 これまで彼にとって花といえば、女性に贈るものでしかなかったが、自分の部屋に花があるというのも悪くない。
 そんなことを考えていると、執務室の扉がノックされた。入ってきたのは、見上げるような大男。騎士団のケイウェリ・ライ・ダイアンだ。現在のマイカラスで、最強の騎士と名高い人物だった。
 ケイウェリはすぐに、飾られている花に見とれているハルティに気付いた。
「その花は気に入りましたか、陛下?」
「ああ、見事なものだね。いったい誰が持ってきてくれたんだ?」
「私です」
 大男が笑って応える。
「…は?」
「私が、屋敷の庭で育てた花ですよ。今年は気候にも恵まれて見事に咲いてくれたので、陛下にもお見せしよう、と」
 ハルティは無表情にケイウェリを見上げた。ハルティも平均よりは長身であるが、それでも頭半分くらい向こうの方が高い。なにしろ騎士団一の巨漢なのだ。
 その上肩幅は広く、胸板は厚く、太い腕と脚のせいもあって、室内に占める体積では倍も違うのではないかという気がしてくる。
 ハルティは、何か言いかけて止めるという動作を何度か繰り返した。
「…念のため訊くが、飾り付けもお前がやったのか?」
「もちろん。自分の手で育てて、自分の手で飾る。そうして初めて、花を育てるという行為は完成するわけです」
「……」
 ハルティはただ無言でケイウェリの顔を見つめた。
 ケイウェリの剣の腕はマイカラス一だ。なにしろ二十歳になる前から、剣聖ニウム・ヒロの後継はこの男しかいない、と周囲から高い評価を得ていた人物である。
 ハルティよりも三つ年上で、以前はよく剣の稽古もつけてもらったものだ。男兄弟のいないハルティにとっては、兄のような存在でもある。
 もう、ずいぶんと長い付き合いだ。
(しかし…わからん奴…)
 この巨体で、小さな鋏を手に花を活けている姿を思い浮かべる。
 シュールな光景だった。ハルティは自分のこめかみに手を当てる。
「まあいい」
 深く考えないことにしよう。なんとなく、怖い考えになりそうだから。
「で、なんの用だい?」
 ケイウェリだって暇な身ではない。用もなく、こんな時間にここを訪れるはずがない。
「これ、ですよ」
 ケイウェリは意味深な笑みを浮かべると、手に持っていた書類の束を見せた。
「コアリキキ様から預かってきました」
「うん?」
 悪巧みしているようなケイウェリの表情が気になるが、書類を受け取って目を通す。
 一番先頭に、よく知っている人物の名が記されていた。
 途端に、訝しげな表情になる。
「…なんだ、これは?」
「見てわかりませんか?」
「わかるような気もするが…念のため」
「お后候補ですよ、陛下の」
「やっぱりか…」
 ハルティは、今度は大きな溜息をついた。
 最近、ことあるごとにこの話題を持ち出される。
 曰く、結婚して跡継ぎをもうけることも王としての務めだ、と。
 その言い分はわからないでもないが、簡単にうなずくわけにはいかない理由もある。
 うんざりした表情で、書類の束をめくった。国内の主な貴族の、年頃の娘はすべて網羅されているのではないかという気がしてくる。この中から気に入った娘を選べ、ということらしい。
「いや、大したものですね。さすが陛下、おもてになる」
「皮肉はやめろ」
 不機嫌な声で言った。
「本人たちよりも、親の意向だろう」
 リストの先頭に、ダルジィの名を見つけた。
 ハルティは思わず苦笑する。なるほど、普通に考えればこうなるのか、と。
 リストの先頭ということは、彼女が最優先の候補ということなのだろう。「普通に考えれば」確かにそうなる。
(これはやはり、本人の意向はお構いなしか…)
 そう、ハルティは考えた。
 ダルジィ・フォア・ハイダーは今年二十二歳、ハルティよりひとつ下だ。年齢的には釣り合う。
 ハイダー家はマイカラス建国以前からの騎士の家系で、家柄は申し分ない。
 それに、客観的に見ればダルジィは美しい。
 背はすらりと高く、長く伸ばした銀色の髪、深い碧の瞳、凛々しさを感じさせる引き締まった顔。騎士団の礼服をまとったダルジィに見とれる者は数知れない。
 しかし、それが問題だった。どんな豪華なドレスよりも、騎士の礼服が似合う女性というのはやはり普通ではない。
 普通、王宮で開かれる宴の席では、普段は化粧っ気のない女性騎士たちも美しく着飾ってくる。そんな時でさえ、ダルジィは男たちと同じように、黒を基調とした騎士団の礼服のままだった。しかも、それがあまりにも似合いすぎていて、誰も何も言えない。
(ダルジィが、私の后候補…?)
 あまりにも意外、というべきか。あの「マイカラスの戦姫」ダルジィの花嫁姿なんて、ハルティには想像できない。
 そもそも彼女が、誰かと結婚したいなどと思うものだろうか。忠誠心に篤いダルジィのこと、父親のサイラートや丞相たちに言われればうなずくかもしれないが、それは本意ではあるまい。
(こんなところに自分の名前が挙がっているなんて、ダルジィは思いもしないだろうな…)
 きっと身分や年齢、家柄だけで判断して、コアリキキあたりが勝手にリストに入れたのだろう…と。ハルティは、勝手にそう思いこんだ。
 無意識のうちに、笑いを堪えるような表情になってしまう。
 ざっとリストの最後まで目を通して、ひとつ気付いたことがあった。
「…一人、足りないのではないか?」
「そうですか?」
 応えるケイウェリの口調は白々しい。笑いを浮かべた顔を睨みつける。
「何故、ナコさんが入っていない?」
「入れてほしいのですか?」
「…当たり前だ」
 ハルティは正直に言った。
 ナコ・ウェル・マツミヤ。
 あの、不思議で魅力的な少女。正直なところ、后を娶るように言われて最初に浮かんだのは、彼女の顔だった。
「私は別に、ナコ・ウェルでも構わないと思うんですがね。そうは思わない人たちも多いということですよ」
 ハルティは難しい表情で、ケイウェリを睨んでいた。
「素性のまったくわからない人間を、自分が仕える国の王妃に迎えてもいいと考える人間は、そう多くはないでしょう? 私の個人的な意見としては、ナコ・ウェルはいい子だと思いますけど、だからといって…ね」
 それは、ハルティにもわかっている。
 知り合って一年ほどになるが、いまだに奈子の素性は謎のままだった。
 どこで生まれたのか、どんな家系なのか、これまで、どこでどのような生活を送ってきたのか。そういった話題になると、奈子はたちまち口をつぐんでしまう。
 何か訳ありなのは確かだが、それがどんな事情なのかは皆目わからない。
「やはり…ナコさんも『墓守』なのか?」
「それはないと思いますがね。むしろ、逆かもしれません」
「逆?」
 予想外の答えに、ハルティは不思議そうに片眉を上げた。
「ソレア・サハやファーリッジ・ルゥが墓守であることは、まず間違いないこと。その彼女たちが、近くで見守る…あるいは見張っていなければならない存在…だとしたら?」
「だとしたら…どうなる?」
「こっから先は、私の勝手な憶測ですから言いません。言えば、きっと陛下は笑いますよ」
「なんだ? 言ってみろよ」
 しかしケイウェリはもったいつける。
 ハルティがなおも問いつめようとしたところで、闖入者が現れた。
「お兄さま! これはどういうことですのっ?」
 甲高い声が乱入してくる。声の主は、美しい金髪を長く伸ばした美少女。ハルティの妹アイミィ・ウェルだ。
 王妹としてははしたない動作だが、長いスカートの裾を翻して駆け込んでくる。手には、何かの書類を持って。
「お兄さま、これはなんですのっ? 説明していただきましょう」
 一瞬、アイミィの剣幕に驚いたハルティだが、すぐに平静を装って応える。
「読んだ通りのものだ。お前、今年で何歳になる?」
「十五ですわ。妹の歳もお忘れになったの?」
「王家の姫として、婚約者を決めるのに早すぎるということはあるまい?」
 そう、アイミィが手にしている書類は、先ほどケイウェリがハルティ宛てに持ってきたのと同じようなものだ。
「そんなことを言ってるのではありません。問題は、その候補者たちです!」
「なにか、問題でも?」
「大切な方が抜けていますわ」
「国内で、家柄も本人の能力も申し分のない者は一通り選んだつもりだが。お前の意志だって尊重するぞ。その中から、気に入った者を選べばいい。基本的に、顔も悪くない者ばかりのはずだ」
 笑みすら浮かべて滔々と述べる。側で聞いているケイウェリは、笑いを堪えているような表情だ。
「やっぱり、お兄さまの差し金でしたのね」
 きっと、ハルティを睨みつける。
「差し金? 何が?」
「どうして、ナコ様の名前がないんですのっ?」
「……は?」
 ハルティは一瞬、呆気にとられた。
 冗談を言っているのかと、アイミィの顔を見る。
 困ったことに、彼女は本気だった。これ以上はないくらいに本気だった。
「…なんの冗談だ。女同士で」
 確かに、アイミィが不自然なほど奈子を気に入っているのは知っている。それに、奈子も年下の同性に好かれる質ではある。
 若い娘が、同性に憧れることがあるのも知っている。
 とはいえ…。
「そんな些細なこと、私たちの愛の絆の前には問題ではありません!」
「いや、これ以上の問題はないと思うが…」
 二人のやりとりを聞いて、ケイウェリは声を殺してくっくと笑っている。
「ナコ様を独り占めするために、無理やり私を結婚させようというのですね。その手には乗りませんわ。私とナコ様の愛の絆の前には、そのような妨害など物の数ではありません!」
「絆…ねぇ。気のせいだと思うが」
「なんですってぇっ?」
 ついにケイウェリは吹き出した。口を押さえて、その場を辞する。
 廊下に出ても、背後からは二人の言い争いが聞こえていた。
(しかし二人とも、本人の意思をまったく無視してるよなぁ…)
 心の中でつぶやく。
 奈子は時々、ケイウェリたちに格闘術を教えに来ているから、話をする機会も多い。
 だから、知っていた。
 奈子は確かに、ハルティのことを憎からず思っているらしいが、しかしどうやら故郷に恋人がいるらしい。雑談の中で、彼女がちらりと漏らしたことがある。
 それに彼女は、ダルジィのハルティに対する想いを知っていた。だから、これ以上ハルティに接近することはあるまい。
 そのハルティは、ダルジィの気持ちなどこれっぽっちも気付いていないのだからお笑いだ。
「…ま、いいか」
 誰にも聞こえないように、小さな声で言った。
 正直なところ、ハルティと奈子が結婚するというのも悪くない話だとは思っている。
 密かに奈子の素性を調べていたケイウェリは、少し前にエイクサム・ハル・カイアンという魔術師と出会った。昨年のクーデターの黒幕でもあった彼は、しかしケイウェリに興味深い話を聞かせてくれたのだ。もしも、その考えが真実を含んでいるとしたら…。
 千五百年前、エストーラ・ファ・ティルザーはエモン・レーナを妻に娶り、その力を借りて大陸最大の王国トリニアを築いた。
 もしもエイクサムが考えるように、奈子が本物のアール・ファーラーナであるとしたら、マイカラスの未来はまるで違ったものになるかもしれないのだ。
(しかし…)
 それが、幸せな未来であるかどうかはまた別問題である。エストーラ王だって結局は天寿を全うすることなく、戦場で命を落としたのだ。
 しかし彼が築いた帝国は、その後五百年近くに渡ってこの大陸の過半を支配し続けた。
(アール・ファーラーナ…か)
 夢物語である。お伽話といってもいい。
 しかし、その可能性を完全に否定することもできなかった。
「ああ、ダルジィ」
 考え事をしながら城の廊下を歩いていたケイウェリは、すれ違った同僚に声をかける。
「陛下のところへ行くのかい?」
「ああ、そうだが?」
 書類の束を手にしたダルジィが足を止める。無論それは、彼が持っていった書類よりもはるかに真面目な内容のものだ。
「今、陛下は取り込み中だよ。後にした方がいいと思うな」
 ちょっとした親切心で、ダルジィに忠告してやる。奈子を巡って喧嘩しているハルティとアイミィの姿は、彼女にとって不快だろうから。
「そうか? では出直すとしよう」
 ダルジィはなんの疑いも持たず、いま来た廊下を引き返していった。



「アール・ファーラーナ! アール・ファーラーナ!」
 それまで劣勢だった軍勢のあちこちから、喚声が上がる。
 何万という兵たちのすべてが、彼女を讃えている。
 戦況は、たちまちのうちに覆っていた。
 千騎の切り込み隊を魔法の一撃で失って、総崩れとなったティルディア王国の軍勢を、勢いを取り戻した中原十ヶ国の連合軍が蹂躙している。
 ほんの半刻前までは、形勢は逆だったのだ。
 歴史は浅いが最近急速に力を伸ばしているティルディア王国は、兵の練度も高い。中原では圧倒的な勢力を誇るトカイ・ラーナ教会も、劣勢を余儀なくされていた。
 現在、この戦場だけに兵力を集中しているティルディア王国と違い、トカイ・ラーナ教会は、ハレイトンやアルトゥルの動きも牽制しなければならない。しかも、最近になって墓守と頻繁に衝突し、その被害も無視できなくなっているのである。
 今回は、ティルディアの戦術が見事に当たった。中原の連合軍は、全面敗走も目前の状態まで追い込まれていたのだ。
 …そう、彼女が現れるまでは。
 誰が信じられるだろう。
 絶望的なまでの劣勢を、突然現れた一人の美しい女騎士がたちまちのうちに覆したなんて。
 その魔力は、あまりにも圧倒的だった。王国時代の竜騎士にも匹敵するのではないかというほどに。
 軍勢を包み込んだ光が消えた時、ティルディア軍の主力に、ぽっかりと穴が開いていた。
 誰もがしばらくの間、言葉を失っていた。
 我に返ったのは、トカイ・ラーナの軍勢の方が先だった。
 あちこちから、同じ言葉が聞こえてくる。「アール・ファーラーナ…」と。
 その声は、だんだんと大きくなってゆく。
 やがて声はひとつになり、大地を揺るがすほどの大歓声となった。
「アール・ファーラーナ! アール・ファーラーナ!」
 勝利を確信した兵たちが、喉も割れんばかりに声を張り上げている。
 声を揃えて、彼女を讃えている。
 戦いと勝利の女神――と。
 肩のあたりで切りそろえた赤い髪を風になびかせ、美しい女性が片手を上げてその声に応えた。



 魔術師エイクサム・ハル・カイアンは、トカイ・ラーナ教会の総本山があるトゥラシの街に住んでいる。
 とはいえ、彼自身は教会とは無関係だ。
 その日彼は、珍しい客を迎えていた。
「…で、どういったご用件でしょうか?」
 エイクサムの口調は丁寧だった。たとえ相手が、招かれざる客であったとしても。
「わざわざ言うまでもないと思うんだけど?」
 出されたティーカップを口に運びながら、赤毛の若者が笑って応える。
「まあ一応、念のためということで」
 エイクサムも静かな笑みを浮かべる。
 お互い、本心は顔に出さない。
「ナコ・ウェルのことさ。知ってることを全部話してくれよ。出身。現在の住まい。そしてなにより…彼女はいったい何者だい?」
「さて、何のことやら私にはさっぱり…」
「とぼけなくてもいいだろう? 僕は決めたんだ。ナコ・ウェルを手に入れるってね。無機的な黒の剣や無銘の剣なんかよりも、ずっと魅力的だ。そうは思わないか?」
「まあ、否定はしませんが」
 アルワライェ・ヌィは、子供のように目を輝かせている。彼はしばしば、不思議なくらい子供っぽい表情を見せるのだ。
 エイクサムは小さな溜息をついた。
 一度興味を持ったものに対する集中力は、大人よりも子供の方が強い。その分、飽きるのも早いものだが、残念ながら彼は今のところ飽きた様子を見せない。
 それもそうだ。まだ、目的のものを手に入れていないのだから。一度手に入れたら、すぐに飽きるのかもしれない。しかし、そんなことをさせるわけにはいかない。
「エイクサム・ハル。君はずいぶんいろいろと調べているそうじゃないか。当然、僕の知らないことも知っているんだろう? 聞かせてくれてもいいんじゃないか」
「私に調べられることなら、あなたにだって調べられるでしょう? 教会の情報網を使えば、造作もないことです」
「教会には、知られたくない」
 その言葉を聞いて、エイクサムの手が一瞬止まる。
 探るように、アルワライェの目を見た。
「言ったろう? 僕が、ナコ・ウェルを欲しいんだ。教会じゃない。奴らに知らせる気もない。もちろん、無銘の剣のことだって知らせちゃいないさ」
 エイクサムは警戒感を強めた。
 アルワライェは教会の命ではなく、自分の意志でナコ・ウェルを手に入れたがっている。
 これはむしろ、彼女にとってはよくないことかもしれない。
 トゥラシに住んではいるが、エイクサムの気持ちとしては奈子の味方だ。彼女の害になるようなことはしたくない。できるだけ、助けてやりたいと思う。
 とはいえ、今は何を言っても、アルワライェに奈子を諦めさせるのは困難だろう。
(ここも、居心地が悪くなってきたか…)
 心の中でつぶやく。
 奈子と再会した時から考えてはいたが、そろそろ本気で、トゥラシを出る準備をしなければならないかもしれない。
 可能性は低いが、アルワライェが自分を人質にすることも考えられた。奈子がそれに乗ってくるかどうかは別問題だが、アルワライェにしてみれば、あらゆる手を試してみても損はない。
(準備をする、時間もないか…)
 エイクサムは、静かに息を吸い込んだ。彼は、ひとつの決心をしていた。
「ナコ・ウェルは…アール・ファーラーナですよ。あなたの姉上のような紛い物ではなく、正真正銘の」
「…面白い」
 アルワライェがゆっくりと立ち上がった。その顔から、子供っぽい笑みが消えている。
 瞳の奥に、危険な光があった。
「紛い物…と言ったな。アリスのことを?」
「ええ、そうでしょう? それは、あなた自身にも言えることですよね。紛い物で悪ければ、作り物とでも、模造品とでも」
「貴様!」
 いつも笑っているようなアルワライェが、珍しく本気で怒っていた。
 右手を前に突き出す。その掌の中に、紅い光が生まれていた。
 しかし、それが剣の形を取るよりも一瞬早く。
 エイクサムが笑みを浮かべる。彼は、持てる魔力のすべてをその場に解放した。
 トゥラシの街中で起こった突然の大爆発が、周辺の人々を驚かせることになった。



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