札幌から函館まで、JR北海道の特急スーパー北斗を利用すると三時間弱の旅程だ。
朝に札幌を出発すれば、昼前に函館に着く。
奈子と由維は、函館駅に降り立って大きく伸びをした。外はいい天気だ。
「さぁて、お昼はどうしようか」
「もう、お昼の心配ですか? まだちょっと早いですよ」
「腹が減っては戦……はできぬ、ってね。早めに昼ごはん食べて、その後ゆっくり観光しよ?」
「そうですねぇ……」
由維は人差し指を唇に当てて、小さく首を傾げた。
「まず最初に、五稜郭公園へ行く予定ですよね? だったら、ハンバーガーにしましょ」
「はんばぁがぁ?」
聞き間違いかと、奈子は呆れ顔で訊き返した。せっかくの函館、他に美味しいものはいくらでもあるではないか。
何故、よりによってハンバーガー。ロッテリアだろうとモスバーガーだろうと、札幌で同じものが食べられるのに。
「はるばる函館まで来て、どうしてハンバーガー?」
「お姉ちゃんが言ってたんですよ。函館に行くなら『ラッキーピエロ』って店に行ってみろって」
「ラッキーピエロ? なにそれ、知らない」
「函館周辺だけにあるハンバーガーショップで、すごく美味しいんだって。お昼にはいつも行列ができるくらい」
「ふぅん。じゃあ、いいよ」
二人は路面電車の停留所へ向かう。
北海道で現在でも路面電車が残っているのは、札幌と函館だけだ。函館の観光名所の五稜郭公園までは函館駅から二駅、さほど時間はかからない。
五稜郭公園前の停留所で電車を降りる。しばらく歩くと、ピエロがハンバーガーを持っている看板の店が見つかった。
そこは、マクドナルドやロッテリアのようなハンバーガーショップではなく、モスバーガーのように注文を受けてから調理するタイプの店だった。主なメニューはハンバーガーとカレーライス。店の作りはファーストフードでも、どことなくファミレス的な部分がある。
まだ昼前なのに店は結構混んでいて、注文待ちの短い列ができていた。そこに並んで、次が奈子たちの番になったところで由維が言った。
「いいですか、チャイニーズチキンバーガーと酢豚バーガー、烏龍茶と春巻きとごまダンゴと、それにソフトクリーム……で一人前として、二セットですよ」
「何度も言わなくたってわかってるよ。そんなに食べるのか……と呆れられても減らすのはなし、でしょ」
「そうです。それとも奈子先輩、ハンバーガーひとつと飲み物とポテトで足ります?」
「いや、全然足りないけどさ」
どこかで聞いたような、しかしなにか違う会話。
体育会系で体格もいい奈子は、当然食べる量も女子としてはかなり多い。由維だって痩せの大喰いだ。
「それにしても、酢豚とか春巻きとかごまダンゴとか、ここって中華っぽいメニューが多いのかな?」
「みたいですねぇ」
注文を終えて、空いている席に着く。ハンバーガーショップにしてはずいぶんと長い時間待って、ようやく注文の品が出てきた。
盛大に湯気が立っているところをみると、すべて注文を受けてから調理したものらしい。モスバーガー以上に時間がかかるのも仕方のないところだろうか。
「この春巻きは、揚げたてを頬ばるのがいちばん美味しい食べ方なんだって」
「ふぅん」
奈子はなんの疑いも抱かずに、その言葉通りのことを実行した。次の瞬間、血相変えて烏龍茶を口に流し込む。
理由は言うまでもない。揚げたての春巻きは、中の具がものすごく熱いのだ。
ジト目で由維を睨んだ。
「……あんた、知ってたっしょ?」
「少しくらい疑ったってイイのに。無防備なんだから」
まったく悪びれる様子もなくけらけらと笑いながら、由維は春巻きを少しずつついばむように食べている。
奈子は食べかけの春巻きをトレイにおいて、ハンバーガーを手に取った。『チャイニーズチキンバーガー』の名の通り、唐揚げ風の鶏肉と新鮮なレタスがたっぷりと挟んである。
ハンバーガーを食べる時いつもそうするように、大口開けてかぶりついて。
また、慌てて烏龍茶を手に取った。
「…………ばか」
由維が呆れている。
普通の薄いハンバーグと違い、揚げたての唐揚げは春巻きに負けず劣らず熱かったのだ。
ラッキーピエロの五稜郭公園前店は、その名の通り五稜郭公園のすぐ目の前にある。
ここは函館山と並んで、函館に来た観光客がまず例外なく訪れる観光名所だ。
箱館戦争の舞台として有名な、特徴的な五稜星形の濠を持った平城。江戸時代の末期に築かれた、日本最古の洋式城郭跡だ。
今は公園化されていて、幅三十メートルの広い外堀には貸ボートがあり、入口には五稜郭全体を見渡すことができるタワーが建っている。公園内には市立博物館の分館もあり、箱館戦争で使われた武器や、当時の衣服などの資料も展示されている。
奈子たちは最初に、五稜郭タワーに昇った。
展望台は高さ五十メートル。ここまで昇ると、五稜星形をした堀の形を自分の目で確かめることができる。周囲は住宅地だが、公園の中は緑に覆われていて、セミがやかましく鳴いていた。春は桜の名所でもあるらしい。
「百五十年前の、戦場……か」
独特の形の堀を見下ろしながら、奈子はぼんやりとつぶやいた。
ここは明治元年、旧幕府軍と新政府軍の、最後の戦いが行われた地だ。
江戸を脱出した榎本武揚率いる艦隊が上陸。ここを占拠して仮政権を樹立したものの、翌年には新政府軍に敗れ、降伏した。
蝦夷共和国――滅びてしまった、幻の国。
ふと、向こうの世界のことを思い出した。
向こうでは、千年以上前の古戦場跡をいくつも見た。
戦争ばかりだ。
この世界も、向こうの世界も。人の住む場所はどこもみな。
もう、たくさんだ。
五稜郭なんて、来なきゃよかった。
「……ひょっとして、前文明も戦争で滅んだんじゃないのかな」
奈子はぽつりとつぶやいた。
「え?」
「いや……。なんとなく、そう思っただけ」
それだけ言って、この話題は打ち切った。もうこれ以上、戦争のことなんて思い出したくもない。
二人は予定よりも少し早めに、五稜郭を後にした。
また路面電車に乗って、終点の湯の川へ向かう。ここはその名の通り温泉街で、すぐ側に川が流れていることからついた地名だろう。
二人が今夜泊まるホテルもここにある。チェックインにはまだ少し早い時刻だったので、その前に近くにあるトラピスチヌ修道院を見に行くことにした。ここも有名な観光名所だ。
明治三十一年、フランスから派遣された八人の修道女たちによって始められた修道院。壁はレンガ造りで、明るい緑色の屋根が美しい建物だった。
現在は七十人ほどの修道女たちが、牧畜や農耕に従事しながら、聖ベネディクトの戒律のもと、ひたすら神への賛美と献身の日々を送っている。
「三時三十分起床、就寝が夜七時四十五分だって。すごい生活ですねぇ」
一般に公開されている資料展示室で、由維が驚きと感心の入り混じった声を上げる。
「一日の生活……労働八時間はともかく、祈り八時間ってのは……」
普通の人には考えられない生活だ。
「いもしない神に祈る生活……か」
やや不快そうにつぶやく。奈子は、既成の宗教における『神』という概念が好きではなかった。弱い人間たちが依存し、すべての責任をなすりつけるために生み出した幻想だ、と。そう思っている。
祈ったって、神様が実際に現れてなにかしてくれるわけじゃない。人間は自分で考え、自分で行動し、それに対して自分で責任を負わねばならないのだ。
「神様は、いると思いますよ」
「……由維?」
「いるんですよ。それを信じ、祈る者の心の中には」
「そうかもしれないけどね。でもそれはやっぱり、自分の心が生み出したものでしょ? 神様って考えは、やっぱり責任逃れだよ」
元々無神論者で、信仰などというものとは無縁の奈子ではあるが、最近特に宗教というものを嫌うようになっている。理由は言うまでもない。
ここも、奈子にはあまり居心地のいい場所ではなかった。それでも帰りがけに、名物のバター飴は買っていったが。
ホテルにチェックインした二人は、食事の時間を少し早めにしてもらうように頼んだ。この後、また出かける予定があったからだ。
函館の海の幸をふんだんに使った夕食に舌鼓をうち、一休みしてからまた電車に乗って街の中心部へ戻る。
夜こそ、函館観光のクライマックスなのだ。
函館山からの夜景。
この街に来て、これを見ないわけにはいかない。駅前から、函館山登山バスに乗り換える。
有名な夜景。奈子は小学生の頃に一度見たことがある。あれは確かに綺麗だった。
たかだか人口三十万人強の街の夜景がこれだけ見事なのは、函館の独特の地形のためだ。函館山は、渡島半島から少し突き出した位置にある。半島と山をつなぐ細い平地、それが函館の街だった。
だから、山頂から市街地を見下ろすと、左右はともに海になる。
市街地の灯り。
その両側に、緩やかな弧を描く暗い海岸線。
そんなコントラストが美しいのだ。ただ一面に光が散らばっているだけの札幌の夜景では、この感動は得られない。光量では札幌の方が何倍も勝っているにも関わらず、である。
函館一の観光名所である函館山。当然、観光客は多い。
この日は特に、カップルが目についた。
周囲は暗いから、奈子と由維も手をつないで歩いて。
人目に付かないところで、そっとキスをした。
「ふわぁぁぁぁ……」
奈子は大きな欠伸をして、布団の上にごろりと横になった。
函館山からホテルに戻って、ゆっくりと温泉に浸かると、一日の疲れがどっと押し寄せてくる。
横になると、自然と瞼が重くなってきた。
「一日歩き回ったから、疲れたね。早めに寝ようか」
「もう、寝るんですか?」
「だって、明日は早起きして、朝市に行くんでしょ?」
「そう……ですけど……」
由維はなにか言いたげな様子だ。
「なに? 寝る前にまだなにか、やることあった?」
奈子は上体を起こすと、布団の上にあぐらをかいて座った。ホテルの浴衣に着替えているので、少々行儀が悪い。
小柄な由維は浴衣のサイズが合わないので、自分の服のままだ。
「あ、あのね、奈子先輩……」
「ん?」
「い……一緒の布団で、寝てもいい?」
「もちろん。なんでわざわざそんなこと訊くの?」
奈子にしてみれば「いまさら」である。普段から、一緒のベッドで寝るのが当たり前の二人なのに。
しかし由維は、不自然に顔を朱くしている。
「あ、……あのねっ!」
しばらくもじもじとしていた由維は、やがて意を決したように言った。
「こ、今夜は、最後まで……し、してもいいよ」
「え?」
一瞬、なにを言われたのかわからなかった。
きょとんとしている奈子の前で、由維はきゅっと唇を噛んでスカートを下ろした。続いてTシャツを脱ぎ、ブラジャーも外す。
ショーツ一枚になって、両手で胸を隠して、奈子の前に立っていた。
「ちょっと、由維……」
「最後まで……してもいい。奈子先輩に、全部、あげる」
その目は、冗談を言っている風ではない。
奈子の表情が真剣になる。
「……いいの?」
由維は、無言でうなずいた。
「どうして急に……。あんた、嫌がっていたじゃない」
二人は両想いで、抱き合ったりキスしたりは日常茶飯事だ。
それでも最後の一線を越えることだけは、由維の方が拒み続けていた。
奈子にはその理由がよくわからない。由維はまだ中学生だから、と自分を納得させてきたけれど。
突然にOKと言われても、喜ぶよりも先に訝しんでしまう。いったい、どういうつもりなのだろう。
その理由は、ひとつしか思い浮かばなかった。
「あのね、由維。同情とか、そんなつもりなら……」
「そんなんじゃない!」
奈子の言葉を遮って由維が叫ぶ。
「私、奈子先輩のこと好きだもん。ずっと、こうなりたいって思ってたんだもん。ずっと、初めての相手は奈子先輩って決めてたんだもん」
涙目で訴えながら、布団の上に座っている奈子の前に膝を着いて、そのまま抱きついてくる。
「初めての相手は、奈子先輩じゃなきゃダメなの。私にエッチなことしてもいいのは、奈子先輩だけなの。だけど……今までは、そのことに自信がなかったから……」
由維の台詞はいまいち要領を得ない。何を言わんとしているのか。
少し考えて、ふと思い出した。
「そういえばあんた、前におかしなこと言ってたよね。今のアタシは、本当のアタシじゃないって……」
そこで奈子は、ああ……とうなずいた。
「……そういうこと。あんた、気付いてたんだ。アタシが自分で気付くより先に、由維は気付いてたんだ」
「だって私、奈子先輩のこと大好きだもん。奈子先輩のことなら、なんでも知ってるもん。だから……」
奈子の身体に回された腕に、力が込められる。
「だけど、いいの。ここにいるのは私の奈子先輩だもん。前に言ったよね、何があっても私だけは奈子先輩の味方だって。何があっても奈子先輩のことが好きだって」
由維の顔が近付いてくる。
「何があっても、奈子先輩はやっぱり奈子先輩だもの」
二人の唇が重なる。奈子も、由維の身体に腕を回した。
そのままもつれ合うように、布団の上に倒れ込む。
「……アタシも、由維のことが大好き」
唇を離してささやく。
「奈子先輩……」
もう一度キスをする。今度は舌を相手の口中に挿し入れて絡め合う。
奈子は一度身体を離して、浴衣を脱いだ。ブラジャーも取る。
二人とも、下着一枚になって抱き合った。
素肌が直に触れ合う。柔らかくて滑らかな肌の感触は、衣服越しの抱擁よりもずっと気持ちがいい。
お互いの鼓動が、呼吸が、そして体温が伝わってくる。
「ホントに、最後までしちゃうよ。由維のすべてを、アタシのものにする」
「うん……でも、まず明かり消して……」
「だーめ。由維の裸、見ていたいもん」
「奈子先輩のエッチ。あんまり見ないで。胸小さいから、恥ずかしい」
「いいじゃん、小さくたって。その方が可愛いよ。それに由維も、最近少し大きくなってきたんじゃない?」
自分の言葉を確かめるように、奈子の手が由維の胸に触れる。それは大きな奈子の掌にすっぽりと収まった。
小さな声が上がる。
由維の身体が強張る。
「可愛い反応するじゃない。なんだかアタシ、興奮してきちゃったな」
奈子は身体を少しずらして、由維の首筋に唇を押しつけた。そのままゆっくりと、胸の方へと下がっていく。
「や……ぁ……」
奈子の唇が由維の肌の上を滑り、ささやかなふくらみを登っていく。頂上に達したところで、由維の喉の奥から抑えた声が漏れた。
「ん……や……ぁん……」
わざとそうしているのか、奈子はちゅっちゅっと音を立てて、何度も何度もしつこいくらいに乳首へのキスを繰り返す。その度に、由維の身体がぴくりと震える。
同時に、胸を包み込んだ手も動かす。
「よく、揉むと大きくなるっていうよね。小さいのを気にしてるなら、いっぱい揉んであげる」
「やぁっ、奈子先輩のエッチ……」
奈子は両手を由維の胸に当てながら、先端の小さな突起を口に含んだ。優しく、円を描くような手の動きに合わせて、由維が甘い吐息を漏らす。
口に含んだ突起の先端を舌でくすぐり、唇で軽く噛む。はじめのうち柔らかかったそれは、徐々に固くなってくる。
「やだ……もぅ、……ダメ」
「どぉしてぇ? アタシは、小さい胸を気にしている由維ちゃんのためにしてあげてるんでしょお?」
意地悪く言うと、由維はつんと唇を尖らせた。
「揉むと胸が大きくなるんなら、奈子先輩はそんなにいっぱい誰に揉まれたんです?」
由維が下から手を伸ばし、奈子の胸に触れる。それはAカップの由維など比べものにならないくらい大きく、小さな由維の手には収まりきらないほどだ。由維も、こうしてまともに奈子の乳房に触れるのは初めてかもしれない。
手に余るほど大きくて、柔らかいのにゴムボールのような弾力がある。先端には、由維よりも一回り大きな乳首がつんと突き出していて、由維は指でそれを摘んだ。
「ん……あっ!」
不意の刺激に奈子は一瞬目を閉じ、眉間にしわを寄せる。
「気持ち……いいの?」
「ん、イイ。もっと、触って」
「うん。……でも、あの……」
「なに?」
「……奈子先輩も」
奈子は小さく笑うと、中断していた愛撫を再開した。由維も同じように、奈子の胸を触っている。
すごく、気持ちよかった。
一番好きな相手の身体を触ること。
一番好きな相手に身体を触られること。
もともと奈子は性的な行為が好きではあるけれど、これは特別だ。
たどたどしい由維の愛撫なのに、すごく気持ちいい。身体よりも、心が感じてしまう。
「は……ぁ、んっ……」
「あ……やぁ……んっ!」
二人の甘い吐息が輪唱のように重なる。
奈子は、手を少しずつ下へ動かしていった。
胸からお腹へ。そして――
「や、だめぇ」
由維の声を無視して、奈子の手はショーツを下ろしていく。一糸まとわぬ姿にされた由維は脚を閉じて、いまさらのように両手で胸を隠した。
潤んだ瞳で、懇願するように奈子を見つめている。
奈子は興奮していた。この瞳で見つめられると、ぞくぞくする。
「隠しちゃだめ」
由維の細い手首を掴み、強引に腕を開く。また、胸が露わになる。
「全部、見せて。なにもかも、由維のすべてをアタシに見せて」
「でも……」
「口答えは許さない」
奈子は由維の手首を放すと、脚に手をかけた。膝のすぐ下あたりを掴んで、腕に力を込める。
本来、脚は腕の何倍も力があるはずだが、それでも奈子の腕力には抗いきれない。今まで頑なに隠していた部分が曝け出される。
「やぁっ! ヤダ!」
由維は真っ赤になって、両手で顔を覆った。そんな動作も奈子を興奮させるスパイスになる。
そこはピンクがかった淡い肉色をしていて、柔らかそうな毛に薄く覆われていた。濡れているのか、部屋の明かりを反射して艶やかに光っている。
「……そんな、まじまじと見ないでよ! エッチ!」
「いや、由維のをこうして見るのは初めてだから、感動しちゃって」
奈子はくすっと笑ってしまった。
一緒にお風呂に入ることもしょっちゅうだけど、こんな風に脚を広げて見たりすることはない。由維がこうして女の子の部分を人目に晒すのは、もちろんこれが初めてだろう。
その、初めての相手が自分であることに、奈子は感動を覚えていた。
「可愛いなぁ……。すごく、綺麗」
「ヤダヤダ! もう見ないで! 奈子先輩のエッチ!」
「だって、見たいんだもん」
「ずるい、奈子先輩ばっかり! じゃあ私も奈子先輩の見る!」
「……いいよ」
思わず吹きだしてしまう。由維ってば、変なところで負けず嫌いだ。
由維が身体を起こして、奈子のショーツに手をかける。奈子よりもむしろ由維の方が緊張しているようだ。
「脚……開いてみて」
「えー? やだぁ、由維のエッチ」
「奈子先輩?」
わざと、先刻の由維を真似して言うと、ジト目で睨まれた。
「冗談だって。でも、やっぱりちょっと恥ずかしいね」
それでも、奈子は由維の前で脚を開いた。人に見られること自体は何度も経験しているけれど、自分から進んでそこを晒すのは初めてだ。
由維が真剣な表情で見つめているので、だんだん恥ずかしくなってくる。
「……やっぱり奈子先輩のって、大人の女ってカンジ。ケーケン豊富ですもんね」
「豊富ってほどじゃ……」
そりゃあ、由維と比べたらずっと経験は多いけれど。
由維が、そこに手を伸ばしてくる。恐る恐る、といった感じで指先が触れた。
「ひゃんっ!」
「濡れてる……」
「……そりゃ、濡れもするでしょ」
大好きな由維と裸で抱き合って、キスしたり、胸を触り合ったり、エッチな部分を見たり見られたりしていたのだから。
奈子はもともと感じやすい方だ。この状況で身体が反応しない方がおかしい。
「由維だって、感じてるでしょ」
「あっ、やぁン!」
今度は奈子が、由維に触れる。
奈子だけが触れることを許された、女の子の一番大切な場所。そこは熱く潤って、奈子の指を迎え入れた。
「あ……あ……」
由維が、ぎゅっとしがみついてくる。顔だけではなく、耳まで真っ赤になっている。
目をしっかりと閉じて、眉間にしわを寄せて。
奈子の指の動きに合わせて、断続的に甘く切ない吐息を漏らす。
「や……やっぱり、ケーケンほうふだぁ……。あっ…。奈子先輩ってば、上手……」
「……って、誰と比べて言ってンの」
上手下手というのは相対的なもので、なんらかの比較対照があるはずだ。由維は初めてのはずなのに。
「…………」
「由維?」
奈子は怒ったように訊いた。もしも自分以外の誰かが由維にこんなことをしていたのなら、絶対に許さない。
「あの、えっと……」
「言いなさい」
「……その……つまり、……自分の指……でするより、ずっと気持ちイイ」
「……あんた、そんなコトしてたの?」
安心すると同時に、少し驚いた。耳年増ではあってもまだまだ子供だと思っていた由維が。
しかしよくよく考えてみれば、自分だって由維の歳にはもう、自慰の経験くらいあった。
「……あのね。いつも、奈子先輩のこと考えながらしてたの。奈子先輩が一人で向こうに行ってる時とかね。奈子先輩のベッドに入ってると、なんだか抱きしめられてるみたいで。すごくドキドキするの」
「ふぅん。アタシのこと、無断でおかずにしてたんだ?」
「……本人に断ってからおかずにする人もいないと思いますけど」
「言い訳無用!」
奈子は片腕で力いっぱい由維を抱きしめた。もう一方の手を伸ばす。
「あ……ん……」
「いい?」
耳元でささやく。息を吹きかけるようにしながら。
「……うン」
由維が小さくうなずくのを確認してから、ゆっくりと中指を挿入していった。
そこは濡れていて、熱くなっている。それなのに、すごくきつい。
当然だろう。由維は小柄で、華奢で、まだ中学生で、極めつけはバージンなのだ。本人の意思とは無関係に、その部分は異物の侵入に頑なに抵抗している。
「う……んんっ! くっ……ぅん……」
「……痛いの?」
苦しそうな表情に気付いて、奈子は訊いた。
「だ、い……じょうぶ……」
どう見ても強がりだ。由維はぎゅっと目を閉じて眉間にしわを寄せて、目には涙すら滲んでいる。
奈子は、根本近くまで入った指を抜いた。第一関節の先だけ中に残して、ゆっくりと動かす。
「これなら、痛くないっしょ?」
「……痛くたって、平気だもん」
「無理しないの」
「だって、バージンあげるって約束したもん」
涙目で訴える由維が、とても愛しい。
「別に、慌てることないよ。処女膜を破いたかどうかなんて、大した問題じゃないでしょ。少しずつ慣らしていこ? アタシ、由維が痛がることしたくない。うんと気持ちよくして、由維のこと、いかせてあげる」
由維を泣かせてまで、強引に奪いたくはない。挿入しなければ満足できない男とは違うのだから。
「でも……」
「いいから。ここは経験豊富な先輩に任せなさい」
そう言って、また胸にキスをする。由維の身体に唇を押しつけたまま、ゆっくりと下に移動していく。その意図を悟った由維の抵抗を退けて。
「あ、そんな! だめっ! そこは……」
しかし奈子は強引に、由維の一番敏感な部分に唇を寄せる。
唇を押しつけて。
軽く吸って。
舌を伸ばす。
「ひゃあんっ! やぁ……っ! あん! ん……っ!」
由維の小さな手が、ぎゅっと奈子の髪を掴んだ。唇を噛みしめて、必死に声を抑えようとしているが、とても我慢できるものではない。
奈子の舌が、動き始める。
ピチャピチャと音を立てる。ミルクを舐める仔猫のように。
「んん……あっ! はぁぁっ……あんっ!」
固く閉じていた唇が開かれ、普段よりもオクターブの高い声が漏れ出す。
奈子の髪を掴んでいた由維の手から、力が抜けていく。
そんな由維の反応を確かめて、奈子の舌はさらに動きを速めていった。
由維の声がだんだん大きく、そして甲高くなっていく。
そして数分後――
ひときわ大きな声を上げると、由維はぐったりとして大きく息を吐き出した。
「……奈子先輩ってばやっぱり、女ったらしでテクニシャンだぁ……」
蚊の鳴くような声で由維が言う。
奈子にしがみつくような体勢で。
まだ少し、息が荒い。
全身がじっとりと汗ばんでいる。
由維は顔を朱くしていて、それを見られるのが嫌なのか、奈子の胸に顔を押しつけていた。
「信じらンない、あんなに気持ちイイなんて……。あんなコトされたら、女の子はみんな奈子先輩の虜になっちゃうよぉ」
「由維が可愛いからだよ。つい、夢中になっちゃった。由維ってば、アタシに舐められて簡単にいっちゃうんだもん」
「私、初心者なのに……。もう少し手加減してくださいよぉ」
「でも悦んでたよ。最後の方は、もっともっと……っておねだりして」
「う、ウソだよ、そんな……」
反論する声が、だんだん小さくなる。思い出したのだろう。奈子の愛撫が気持ちよくて、無我夢中で、その最中に何を口走ったのか。
「由維ってば、ホント可愛い」
奈子の腕が、由維の小さな身体を包み込んだ。
汗ばんだ肌と肌がぴったりと密着する。
気持ちいい。
お互いの体温を感じることが。
だから、しばらくそのまま。
黙っていて。
相手の鼓動と呼吸を、肌を通して感じる。
同じリズムを刻んでいる。
こうしていると、心も身体も一つに溶け合ってしまうように感じる。
「……どうして、こんなに愛しいのかな。ずっと昔から、奈子先輩のことが大好き。そして、もっともっと好きになっていく」
「アタシも。……きっと生まれる前から、アタシたちの遺伝子にそう書き込まれているんだよ。お互い愛し合うように、って」
「ふふ……」
二人は声を揃えて、小さく笑った。
「ホントにそうかも」
由維が身体を少しだけずらして、唇を重ねてくる。
「遠い遠い昔から、そう運命づけられていた。この世に生を受けた時から、愛し合うように。……そう考えると、なんだか素敵ですね」
「うん」
また、沈黙が流れる。
とろとろと半分眠ったような心地で、意識が夢と現実の狭間を彷徨っている。
ふと気付くと、由維が小さな声で歌を唱っていた。
すごく優しい、心の中にすぅっと染み込んでくるような懐かしい旋律。
思い出した。
向こうの世界の歌だ。
ソレアの弟子になったユクフェの歓迎パーティをした時、リューリィが唱ってくれた。
あの世界に古くから伝わる歌。
初めて聴いた時から、心を捕らえて放さない。
このメロディを聴いていると、何故か海を思い出す。
テンポが、静かなうねりのリズムに似ているのかもしれない。大海原の温かな水の中を揺蕩っているような感覚に包まれる。
海は、すべての生命の故郷。
だから、懐かしい。
何億年も昔、人間の遠い祖先がまだ海中で暮らしていた時代の記憶が甦るようだ。
「いつの間に憶えたの? アタシ、このメロディすごく好き」
「……いつの間にか。リューリィが唱っているのを聴いただけで、憶えちゃったみたい。でも、初めて聴いたような気がしない。すごく懐かしい感じがする」
「アタシも……」
「どうしてかな……」
由維が、また歌を口ずさみはじめる。
しかし今回は長くは続かず、歌はすぐに中断した。
「……あ!」
「どしたの?」
「もしかして……、いや、きっと……。……このメロディ、どこかで聞いたことがあると思ってた。今、思い出した」
「どこ?」
口調が妙に真剣なので、奈子は由維の顔を覗き込んだ。布団の上に仰向けになっている由維は、天井を凝視するようにして何か考え込んでいる。
「……由維?」
「前文明って……」
「え?」
「前文明って、王国時代よりもずっと進歩した文明だった……って説がありましたよね?」
突然の話題の転換に、奈子はついていけない。急いで頭を切り換える。
あの世界に生まれた最初の文明。それはおよそ十万年前、ほとんどなんの痕跡も残さずに滅びた。
十万年前。この世界ではまだ文明なんて遠い未来の話。原人たちの時代だ。
しかし向こうの世界では、小さな集落の原始的な生活から、大きな石造りの都市を築くようになっていた。
一般的な説によれば、それは古代エジプト文明と同等くらいのものだったらしい。しかし、実はもっともっと進歩した文明だったという説もある。かなり異端視されている学説ではあるが。
「もしも……、もしもですよ? あの世界の前文明が高度に進歩したもので、戦争か天災かは分からないけど、なんらかの理由で滅びたとしたら……」
「したら?」
「何かを残そうとは考えませんか? 生き残った者たちのために」
「……」
「戦争とか自然破壊とか、人間の過ちによって滅びたのなら、同じ過ちを繰り返さないための警告として。天災なら……自分たちがここにいた証として」
人間は、何か目に見えるものを残したがる生物だ。自分が死んだ後まで残る何かを。
意図的に残そうとしなくても、本来、遺跡は残るはずだ。人間が生活していた以上、なんらかの痕跡が残る。
そう考えると、前文明の痕跡は不自然なほどに少ない。なのにその僅かな痕跡は、それがかなり進歩した文明であることを示唆している。
滅亡の原因が惑星規模の大災害であったとしても、生き残った者たちはいるはずだ。だから、今の時代がある。
植物も、動物も、そして人間たちも。その数はほんの僅かかもしれないが、十万年前に起こった「なにか」を生き延びたはずなのだ。
ならば、自分たちの痕跡を残そうとしたはず。遠い未来の子孫へのメッセージを。
「……でも現実には、前文明の痕跡はほとんど残っちゃいない。わずかな、都市の跡らしきものだけ。文献やなんかはなにもない。結局、前文明ってその程度のものだったんじゃない?」
十万年先まで意味のあるものを遺すのは、容易なことではないだろう。
奈子たちの世界でもっとも古い文明でも、せいぜい数千年。それでも失われてしまった記録は多い。それに比べれば、十万年というのは果てしない時間だ。
「紙に書いたものはもちろん、石や金属に文字を彫ったって、一万年ならともかくその十倍の時間を超えるのは難しいでしょうね。その間に、地殻変動やなんかもあるだろうし。でも、前文明のメッセージはあるんですよ、きっと。何万年、何十万年、あるいは何千万年も残る形で」
「どうやって?」
どんな強固に造られたシェルターだって、百万年は保たないだろう。あの巨大なピラミッドですら、数千年でずいぶん風化している。十万年後に、人の手によるものとのわかる形で残っているだろうか。
「信じられないよ、そんな。どこに前文明のメッセージが残ってるって?」
そんなものが残っているなら、誰かが見つけているはずではないか。王国時代の優れた技術をもってしても見つからない、などということがあるだろうか。
しかし由維は自信ありげだ。いったい、何に気付いたのだろう。難しいパズルが解けた時のように、晴れやかな顔をしている。
奈子はふと、言い様のない不安を覚えた。
「つまり……」
説明しようとした由維の口に、奈子は指を当てた。開きかけた唇を押さえる。
聞きたくなかった。少なくとも、今夜のところは。
「いい。今は言わなくていい」
「奈子先輩?」
「きっと、聞いたら放っておけなくなるもの。この話は帰ってからにしよう。見つけられるのを十万年も待っていたメッセージなら、あと一日くらい待たせてもいいでしょ」
「……そう、ですね」
由維も、奈子が何を考えているのか理解したらしい。素直に従った。
「今夜は、そんな話をするために来たんじゃない。楽しむために来たんだから」
奈子はそう言うと、また由維の身体を力強く抱きしめた。顔中に、身体中にキスの雨を降らせる。
「他のこと考えるのは、明日にしよう。今は、アタシと由維、二人だけの大事な時間。もっともっと、由維のこと愛したい」
「……ぁ……ん」
誰にも邪魔されたくない。
余計なことを考えたくない。
今夜はまだ、二人だけの平和な時間。
由維も同じ想いだった。
だから二人は、ただ愛し合うことだけに専念することにした。
列車のリズミカルな振動に揺られていると、だんだん眠くなってくる。
ただでさえ今日は、寝不足なのだから。
カーブにさしかかると、コンピュータ制御の車体は遠心力に逆らうように大きく内側に傾いた。
隣に座っている由維が、もたれかかってくる。ぐっすりと眠っていて目を覚ます気配はない。
(ちょっと……やりすぎたかなぁ)
由維の寝顔を見ながら、奈子は少し反省した。
二人が眠ったのは明け方だ。それまでずっと何をしていたのかは、言うまでもないだろう。
初体験の由維にはちょっときつかったかもしれない。
由維の反応がとても可愛くて。
もっと悦ばせたい。もっともっと感じさせたい。そんな想いが強くて。
つい、相手が初心者だということを失念していた。経験豊富なファージやエイシスを相手にしている時のノリで、由維を攻めたててしまった。
少し、羽目を外してしまったかもしれない。由維とするのが嬉しくて嬉しくて。どれだけ愛しても、愛し足りないように思えた。
見ると、由維の首筋に紅いキスマークが残っている。これはかなりまずいかもしれない。
(……でも、ま、いっか。楽しかったし)
由維は、奈子にもたれて眠っている。可愛らしい寝顔。肩にかかる頭の重みが心地良い。
奈子も瞼を閉じた。
すぐに、意識がとろけていく。
(前文明が遺したメッセージ……か……)
朦朧としていく意識の中で、昨夜の会話を思い出した。
いったい由維は、何に気付いたのだろう。
どうして自分は、昨夜のうちにそれを聞かなかったのだろう。
(怖かったんだな……きっと)
聞けば、もう後戻りはできなくなる。そんな気がした。
おそらく――
聞くまでもなく、奈子はもうその答えを知っているのだ。
由維は、夢を見ていた。
そこは、よく知っている場所だった。
家の近くにある、奏珠別公園の展望台。かなり遅い時刻のようで、水銀灯の白く冷たい光が石畳の舗装を照らしている。
由維は空中に浮かんで、少し高い位置から公園を見下ろしているようだった。身体がふわふわして、なんだか頼りない感じがする。
(あれ……なに?)
公園の中心に、奇妙なものがあった。
濃い霧のような白い光が、直径二十メートルほどの半球形に広がっている。しかし霧のはずはあるまい。今は夏だし、今夜は天気が良くて空には雲ひとつない。
見ていると、光は徐々に薄れていった。その中に、二つの人影が立っている。二人とも、見覚えのある人物だ。
(奈子先輩と……、ファージ?)
二人で、何か話している。どこか寂しげな雰囲気が漂っている。
由維がそちらに意識を向けると、自然にすぅっと近付いていくようだった。
二人の会話に耳をそばだてる。
ファージは、自分が付けていたルビーのような紅い宝石のピアスを片方外し、奈子の耳に付けた。
そのまま奈子の頬に手を当てて、まっすぐに見つめ合う形になる。
「ナコ……」
「ファージ……」
二人とも、泣いているみたいだ。
「もう、時間がないから。この道が閉じる前に、私も戻らないと……」
「うん……」
「この一週間、楽しかった。会えて良かったよ、ナコ。さよなら……」
「さよな……」
奈子のお別れの台詞は、途中で遮られた。ファージの唇が、奈子の口を塞いでいる。それはほんの一瞬のことで、ファージはすぐに離れた。
「ファ、ファージ!」
「さよなら、ナコ」
いきなり唇を奪われた奈子が、文句を言う暇もなかった。それより先に、ファージの身体が周囲の白い光に溶けこんでいく。
由維は、ようやく状況を理解した。
これは奈子が、初めて向こうから帰ってきた時の光景なのだ。ファージとのやりとりは、以前奈子から聞いていた通りのものだ。
頭で考えるより先に、由維はファージの後を追うように光の中へ飛び込んでいた。奈子は気付かなかったようだ。
「待ちなさいよ!」
叫ぶ。光の中で、ファージが振り返る。
微笑みを浮かべて、由維を見ている。
由維は地面に降り立った。一メートルほどの距離をおいて、ファージと向かい合う。
光は先刻よりも強くなっているようだ。公園の風景はまったく見えない。まるで、ミルクの中にでもいるみたいだ。
「久しぶり?」
「な、なに呑気なこと言ってンのよ! ファージ……! あ、あんたが……あんたが奈子先輩を巻き込んだから……こんなことになったんじゃない」
「巻き込んだなんて人聞きの悪い。最初は、まったくの偶然だよ」
「じゃあ、この次は? ファージが奈子先輩を無理矢理呼び寄せたんじゃない! あの事件がきっかけで、奈子先輩は向こうの世界に関わるようになっちゃったんだ。そのせいで、奈子先輩はいっぱい傷ついちゃったんだよ!」
きつい口調で言う。ファージは珍しく、ほんの少し申し訳なさそうな表情を見せた。
「……でも、仕方ないじゃない。会いたかったんだもの。私もナコのこと、好きだったんだもの。ずいぶん長く生きてきたけど、ナコほど魅力的な人なんて、そうそういない」
「だったら最後まで責任持ちなさいよ! 自分だけさっさとアィアリスに殺されちゃって! 奈子先輩も私も、いっぱい泣いたんだから!」
「私に言われてもなぁ」
指先でぽりぽりと頬を掻く。
「文句はクレインに言ってよ。その気になればアィアリスなんかには負けないくせに、『聖跡の役目は終わった』なーんて言っちゃって。……それより、ユイも泣いてくれたんだ?」
「――っ」
一瞬、言葉に詰まった。頬がかぁっと熱くなる。恥ずかしいのを誤魔化すようにそっぽを向いた。
「ちょ、ちょっとだけね」
「……ありがと。そして、ごめん」
濃い金色の瞳が、真っ直ぐに由維を見ていた。安っぽいアクセサリに使われているような軽い色ではない。大きな金塊のような、重みのある黄金色だった。
両腕を差し伸べてくる。指が由維の頬に触れる。
そのまま、手が首の後ろに回された。
「……え?」
一瞬、何が起こったのかわからなかった。わからないまま、唇を奪われていた。
(……ごめんなさい、奈子先輩。でもこれは私のせいじゃないよ)
ファージにキスされるのは、これが二度目だ。だけどそれはどちらも、ファージの方から強引にしてきたものだ。由維の浮気とはカウントされないだろう。
由維を抱きしめる腕は軽く触れているようでいて、しかし実際にはかなり力強い。華奢な由維では抗うことができない。
当たり前だ。ファージは竜騎士を超える能力の持ち主なのだから。
「ん……」
唇を割って、舌が入ってきた。
由維は渋々、それを受け入れる。
奈子以外の相手にキスされているというのに、不思議と嫌悪感はなかった。
ファージのキスの仕方はどことなく奈子に似ている。いや、実際はその逆なのだろう。奈子のキスの仕方が、ファージの影響を受けているのだ。
だから本音をいうと、ファージにキスされるのは決して嫌ではない。目を閉じていると、奈子にキスされているみたいで気持ちいい。
(もぉ……ファージのエッチ)
(ユイだって好きなくせに)
唇を、舌を通して、ファージの意識が流れ込んでくる。
(私が好きなのは、奈子先輩とのキスだもん)
(私もナコとキスするの好き。だから、間接キス)
(もぉ……)
口では文句を言っても、由維はファージを受け入れていた。
ファージに会えるのも、これが最後なのだから。
「……んっ?」
列車が揺れた拍子に、由維は目を覚ました。
気が付くと、奈子の肩にもたれ掛かるようにして眠っていた。見ると、奈子もぐっすりと眠っている。
(……なんか、変な夢を見ていたような気がするなぁ)
頭がぼぅっとして、よく憶えていない。
それでもなんとなく、奈子がいたような気がする。唇に、柔らかな感触が残っている。
奈子の寝顔をしばらく見つめていた由維は、身体を伸ばしてそっとキスをした。
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