二章 フィーニのお披露目


「うふふ、それでミュシカさんは今日も不機嫌なの」
 くすくすと笑う声に、ミュシカの機嫌はさらに悪化した。
 あのちょっとした事件の翌日の、朝の教室。
 さすがに二日続けて仏頂面をしているとなると、気になるものらしい。仲のいいクラスメイトのアイリーが、どうしたのかと訊いてくる。ミュシカは一昨日と昨日あったことを、ぽつぽつと話して聞かせた。
「でも、性別については納得してもらえたのでしょう?」
「まあね。でもあいつ、その後で私に向かってなんて言ったと思う?」
「さあ?」
「『今どき精霊魔法? 年寄りくさいことやってるねー』だよっ?」
「それは言われても仕方ないかも」
「なにか言った?」
「ううん、なにも」
 ミュシカの剣呑な視線に気付いて、アイリーはぶんぶんと首を左右に振った。ただし口元は笑ったままだ。ミュシカは苦虫を十匹くらいまとめて噛み潰したような顔になる。
 あのフィーニ・ウェルが言ったことも、アイリーが言ったことも、確かに事実である。
 今どき、魔法なんて流行らない。
 王国時代の偉大な魔法の力は何百年も前に失われてしまったのだ。現存する魔法は、当時から見れば児戯にも等しいものでしかないし、それさえも素養を持つ者は極めて少ない。
 第一、魔法などという不安定な力に頼らなくても、機械のおかげで生活はどんどん便利になっているのだ。年輩の人たちならともかく、普通は新しもの好きである筈の十代の女学生が魔法を学ぼうだなんて、物好きといわれても仕方がない。
 とはいっても、面と向かってそう言われて、いい気のする筈もない。
「人のこと年寄りくさいなんて言って、あいつのだって時代遅れの騎士剣術じゃない!」
「騎士剣術?」
 昨日のレイア様同様、やっぱりアイリーも首を傾げた。ミュシカは説明する。
「今の競技剣術よりもずっと古い、実戦用の剣術だよ。銃や大砲が戦争で使われるようになる以前の」
「ふぅん」
 それは、千年以上昔から伝わる闘いの技。剣と魔法が戦いの手段だった時代の話だ。
 今日では、戦争は銃と大砲で行われるのが普通だ。銃剣術なら役にも立つが、古流の騎士剣術なんて実戦では使われない。
 今では剣術も格闘術も、それぞれスポーツ化され、別個の競技として行われていた。フィーニが見せたような、剣で斬りつけながら相手を蹴飛ばすような技は、競技会では力いっぱい反則だ。
「よりによってマイカラス流の騎士剣術だってさ。淑女を目指すべきシーリア女学院の生徒が、制服のスカート翻して人を蹴ったりするなんて言語道断だよ。華麗なトリニア流の剣術ならまだしも」
「マイカラス流?」
「そう。本来、王国時代の騎士剣術は剣術と魔法を融合させたものだったんだ。だけど魔法の力が弱まりだした後期王国時代に広まったマイカラス流は、それに突きや蹴りといった徒手格闘術も加えたものなの。あの伝説の竜騎士ナコ・ウェルがこの国に伝えたって言われてる」
「さすが歴史マニアのミュシカさん、詳しいのね。でも、それならむしろシーリア学園の生徒にはぴったりじゃないかしら?」
 アイリーが優雅に微笑んで言う。おっとりとした雰囲気を持つこの少女は、ミュシカが知る限りどんな時でもこうしてにこにこと笑っている。
「え?」
「だってこの学園の創設者は、ナコ・ウェルじゃないですか」
「あ……」
 言われてみれば、その通りだった。
 ナコ・ウェル・マツミヤ。
 今から五百年以上も昔の、伝説の女騎士だ。
 このマイカラス王国の騎士で、幾度となく国の危機を救い、最後の竜騎士とか、戦いの女神の化身とか言い伝えられている。余談だが、名君と名高い当時の国王ハルトインカルの愛人だったという説もあった。
 超人的な魔力と優れた剣術、格闘術を身につけた最強の騎士であったが、また優れた施政者でもあり、当時単なる田舎でしかなかったこの地方は、ナコ・ウェルの領地となってから大いに栄えたという。
 そして、彼女の命によって設立されたのが、このシーリア女学園なのである。
「それに、転入生のフルネームはフィーニ・ウェル・リースリングですってね?」
「うん、そう言ってた」
「リースリング家といえば、マツミヤ家の親戚の名家じゃない?」
「本家筋ではない、と言ってたけどね」
 リースリング家は元々、ソーウシベツ領主の葡萄畑を管理してワイン作りをしていた一族だった。後にこの地方のワインが世界的に高い評価を受けるようになったことで、名を上げ財を成したのだ。現在では外国にも広い畑を所有する、世界有数のワインメーカーの一つである。
「竜騎士ナコ・ウェルの騎士剣術を受け継ぐ、リースリング家のお嬢様か……素敵よねぇ?」
「なにが素敵なもんか!」
 ミュシカは吐き捨てるように言う。
「ミュシカさん、言葉遣いが悪いわよ。それに、下級生の悪口を言うものではないわ」
「だってあいつは……」
「侮辱されたって? ならば優しい言葉で諫めて、正しい道へと導くのが上級生の務めでしょう? シーリア女学園に相応しいレディとしては」
「う……」
 口では勝てない。一見おっとりのんびりとしたアイリーだが、学園内では弁論部の副部長を務めているほどで、素晴らしく弁が立つのだ。
「聞いた話では、すごく可愛らしい子だそうね。私も会ってみたいわ。休み時間に、一年生の教室へ行ってみようかしら」
「わざわざそんなことしなくても、すぐに会えるよ」
「え?」
「今日の放課後、レイア様がフィーニ歓迎のお茶会を開くってさ」
「まあ、素敵!」
 アイリーが、ぱんっと手を合わせた。
 お茶会は、寄宿舎の生活の中で一番の楽しみである。なにかと口実を設けては、みんなでお茶やお菓子を持ち寄って、楽しいひとときを過ごしている。だからもちろん、転入生の歓迎会なんて絶好のチャンスを見逃す筈がない。
 本音を言えば、ミュシカは今日のお茶会をすっぽかすつもりでいた。どうしてあんな失礼な子の歓迎会に出なきゃならないんだ、と。しかしミュシカの考えなどすべてお見通しのレイア様の厳命によって、出席を余儀なくされている。
「フィーニちゃんは、レイア様と同室なんですってね。羨ましいわぁ」
「他に空き部屋がなかったからね」
「でも、ミュシカさんの部屋も空いているのではなくて? それが本来の形でしょう?」
 シーリア学園の寄宿舎は、普通、一年生と二年生が同室になることが多い。二人部屋でも三人、四人部屋でも、一年生だけで一室というのはあり得ないし、一年生と三年生という組み合わせも異例である。
 勝手のわからない一年生だけでは色々と不便だろう、というのがその理由の一つ。
 そして、一年生と身近に接して指導していくことで、二年生に上級生としての自覚を持たせようというのがもう一つ。
 だから二年生のミュシカの部屋に空きがあるのに、フィーニがレイア様の部屋に入るというのは例外的なことだった。ミュシカがフィーニを毛嫌いしているために、仕方なくこうなったのだ。
「ねえ、ミュシカさん」
 アイリーが珍しく遠慮がちに口を開く。
「やっぱり、あなたが同室になるべきではないかしら。そりゃあ確かに、ミュシカさんの気持ちも分からなくはないけれど……」
「わかってるなら放っておいてよ!」
 つい、周囲のクラスメイトが驚くほどの大きな声を上げてしまった。だけどそのおかげで、アイリーはこの話題をそこで打ち切ってくれた



「ごきげんよう。今日はお招きありがとうございます」
 アイリーが優雅にお辞儀をして部屋に入る。ミュシカも軽く会釈してその後に続いた。
 学校帰りにケーキを買いに行っていた二人が寄宿舎に戻ると、歓迎会の場は既にずいぶんと盛り上がっていた。今日の主役であるフィーニ・ウェルを中心に女の子の輪ができていて、楽しそうな笑い声が室内を満たしている。
「きゃあん、可愛い子じゃない!」
 初めてフィーニを見たアイリーが歓声を上げた。今にも抱きつかんばかりの勢いだ。
「でしょう? こんな可愛い子が入ってきてくれて、私たちも嬉しいわ」
 女の子は基本的に、可愛いものが大好きだ。「可愛い下級生」に目がない二、三年生はずいぶんと楽しそうだった。
「あたしも嬉しいです。転校前はちょっと不安でしたけど、来てみたら素敵なお姉様たちばかりで」
 フィーニの方も、出し惜しみなしに愛嬌を振りまいている。
 やたらとご機嫌だ。昨日の、ミュシカに対する態度とは大違いではないか。もしかしたら、ずいぶんと外面がいい性格なのかもしれない。
「ねえねえ、フィーニちゃんはここに来る前はどこに住んでいたの?」
「ウラースです。見渡す限り、畑しかないところなんですよぉ。あたし、ソーウシベツみたいな都会で暮らしてみたかったんです」
「この街には親戚があるのではなくて?」
「ええ、そうですけどぉ、分家の末娘が本家に居候するなんて、気兼ねするじゃないですか。それに、伝統あるシーリア女学園の寄宿舎で、素敵なお姉様たちと過ごしたかったんですもの」
 また楽しそうな笑い声が上がる。
 人懐っこい、物怖じしない子だ。確かに可愛らしい。
 小柄で華奢に見えるけれど、元気な笑顔のためにひ弱な印象を受けない。目はぱっちりと大きくて、髪はふわふわの仔猫みたいだ。
 性格は明るいし、元気いいし、さりげなく上級生を持ち上げることも忘れない。
 みんなフィーニが気に入ったようだ。唯一、ミュシカを除いては。
 自分の趣味を侮辱された恨みは深いのである。ミュシカは話の輪には加わらずに、部屋の隅でむっとした顔でお茶を飲んでいた。
 見ていていらいらする。
 レイア様をはじめとするお姉様たちが、この新入りをちやほやしているのも気に入らなかった。



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